Top


Profile


Photolog


Contact

どうやらカメラの未来ってやつは暗いらしい、本当にそうなのかなぁ

昨年、2018年はまさにデジカメの市場が賑わった年になった。
3月には、ソニーのフルサイズミラーレス「α7ⅲ」が登場し、瞬く間に売れた。

夏休みには、フルサイズミラーレスには参入しないと思われたニコン・キャノン両社が一週間の僅差で開発を発表。
その次の月には、なんとシグマ・ライカ・パナのLマウントアライアンス(連合)の構想が発表、パナからS1・S1Rが開発中との発表。
ここ10年を振り返っても、怒涛の一年間だったことが分かる。

今年は遂に、フルサイズミラーレス戦国時代へと突入し、遂に二強がミラーレス開発に重い腰を上げた形になった。
背景には様々な要素があるだろう。ここでは詳しくは述べない。
そして個人的に最近気になった記事があるので、取り上げてみようかと思う。

α7

    目次

  1. デジタルカメラとは
  2. カメラにできて、スマホにできないこと
  3. でも今後スマホにもできそうなこと
  4. 縮小した高級オーディオ機器
  5. パソコンとカメラ
  6. カメラ文化は死なない

デジタルカメラの市場は今後2年間で半分に縮小する恐れがある

デジタルカメラの市場は今後2年間で半分に縮小する恐れがある

キヤノンの予想では、今後二年間でデジタルカメラの市場は半分に縮小するのだそう。
ミラーレスカメラで盛り上がっていた矢先、こんなに暗い見通しがなされるとは・・。
もちろんマーケティングには抜かりのないキャノンの判断でしょうから、かなりいい線で当たると思います。

でも、個人的にはもう少し楽観的でも良いじゃないか!と思っている。
そんなこんなをちょっと書いてみようかなと。

コンタックスアリア

デジタルカメラとは

”デジタルカメラとは、銀塩フィルムの代わりに撮像素子で撮影した画像をデジタルデータとして記録するカメラである。”(wikipedia)

今やデジカメは最もありふれた記録装置となった。スマホの普及で一人が一つデジカメを持つ時代が当たり前にやってきた。
その他に先程あげたようなミラーレスカメラ、そして一眼レフカメラ、コンパクトデジカメなどといった具合だ。

デジカメというのは、大きなジャンルをひとまとめに表現した語に過ぎない。
ただ一般の人が今カメラと言えば、デジイチ(ミラーレス+一眼レフ)になるだろう。(コンデジはちょっと微妙な立ち位置)
そして恐らく、皆が言うカメラと言うやつが今後半減するらしい。マジですか・・。 α7ⅲ

カメラにできて、スマホにできないこと

突然ですが、カメラにできて、スマホにできないことって何だと思いますか?
長時間露光・連射速射・超広角/望遠撮影・フラッシュ・ボケの表現・暗い中でのノイズレス撮影・RAW現像などなど。
特にレンズに関する部分だけはスマホが弱いなと感じます。そう、広角や望遠側の撮影とボケ(bokeh)です。
また画質はある程度、センサーサイズに依存するのでデジイチで撮った写真のほうがキレイ!っていうのはまずあると思います。
スマホとくじゅう

でも今後スマホにもできそうなこと

上記で色々と考えましたが、最近のスマホを圧倒するような機能って実はそんなにないんじゃないかなと思います。
上に上げたのだって、今でも殆どができるし、恐らくこのままスマホとそのセンサーが進化したらクリアされる問題ばっかりだと思う。
特に最近感じるのはiPhoneのポートレートモード。擬似的にボケを作る機能がすごいということ。
ポートレートモードはまだまだ発展途上で、人物との輪郭がきちんと分離できてないことも多々あります。

コンデジ

ですが今後処理が高度化すると、いつの日か、重たいF値の小さなレンズを振り回してたことがバカらしくなる日が来るかもしれません。
後世の人間に「昔はボケを作るのに光学・空間的に作っていたので高価で重たいレンズが必要だったらしい。面倒だね。」って。
もしかしたら、今VSCOで”フィルムのシュミレーション”をやってるような感じで”ボケのシュミレーション”なるものが出てくるのかも。個人的にはMINOLTAのボケの再現とか見てみたいなぁ。
スナップ写真

縮小した高級オーディオ機器

ニッチに追い込まれ、縮小した産業としてよく挙げられる高級オーディオ機器。
リンク先の掲示板にも、高級オーディオとカメラ市場とを並べて、同じようなニッチな産業になるのでは?といった危惧がある。
でも、僕はこれについては少し否定的だ。最初はなるほど、確かにこのままではマニア受けするだけの金持ちのニッチな趣味になっていくんだろうなと思った。

カフェの写真

しかし、カメラはオーディオ機器ではない。もっと言えば、カメラはいろんな楽しみ方ができるが、まずベースにクリエイトの精神がある。カメラは一方的に消費するだけのアイテムではなく、創造するガジェットだ。クリエイターが存在する限り、撮影するというこだわりがある限り、プロはそれを手放すわけがない。

その点で消費する意味が強い、一方通行的な趣味の機械であるオーディオ機器とは一線を画すると思っている。(もちろん高級オーディオ機器は男のロマンであり、僕も何かと好きだが、カメラ=高級オーディオという図式は余りにも強引すぎると考えている。)

窓辺の風景

パソコンとカメラ

カメラにはパソコンが付き物で、プロはRAWで写真を撮ってLightroomやPhotoshopで現像する。といったHANASHIではなく、パソコンとカメラは少し似ている。という話をする。
先程の高級オーディオの話とも少しかぶるのだが、パソコンは未だ健在だ。(少しずつ販売台数を下げてはいるが)

5年ほど前に、iPadやSurfaceなどのタブレット端末の登場によって、3〜5年の内にはパソコンというものがなくなるだろうと予想した大バカ者がいた。いや、一人だけではない。(特にリテラシーの低い連中だろうが)記者や自称物書き、多くの人がそれに同調して、ネットで記事を書いたり、本を書いたりした始末だった。

そういった連中は、パソコンでブラウジングと物書きしかしないような人間なんだろうが、結局パソコンはなくならなかった。
いや、スマホが普及した今、スマホで消費されるモノの殆どがパーソナルコンピュータで作られていることが厳然たる事実だ。

歩く人々

それに気づく人が減ったのかもしれないが。
今ネットにあふれている見事な写真、映像、それにWEBに存在する多くの記事、それらの全部とは言わないが、9割方はパソコンで創造されている。
造り手の側に立つのならば、どういった形であれパソコンが使えることは必須のスキルであるのが現在である。

夜の写真

もちろん、これからタブレットとパソコンの境界がどんどん曖昧になって、パソコンという”カタチ”が消えていくかもしれないが、それは結局、パソコンとタブレットの融合であり、パソコンそのものの存在がかき消されるわけではない。

実を言うと、僕はタブレットについてはもう少し楽観的な見方をしていて、写真編集の殆どはタブレットが担うようになるだろうと考えていた時期がある。タブレットのほうが携帯性に優れていて、直感的だろうと。恐らくタッチの操作が難しいので、パソコンで言うマウスに近いインターフェースが出てくるのではと。

結局、僕の予想は外れ、今でもiPadのLightroomをマトモに起動することはない。結局、動画編集だって、写真編集だって、プログラミングだって、マウスとキーボードに勝るインターフェースが現れなかったために、未だパソコンが必要らしい。

スナップ写真

そんなわけで、カメラももしかしたら、こんなカタチになるのかもしれない。
もう少し続けて例示すると、今や通話機能しかない携帯電話などありえないだろう。多くの機能がスマホに統合された。
でもそれは、その機能自体がシンプルであったことに起因するのではないかと思う。スマホに電話機能が、電卓機能が、時計機能が、音楽再生機能が付いているから、それだけを機能にしてた多くの機械を過去のものにしたけれど、カメラはどうだろう。

ここ数年、スマホとカメラは共存してきたけれど、結局のところ僕たちが話題にしてるカメラ=デジタル一眼カメラは置き換わってないんじゃないかなと。実際のところは、コンパクトデジタルカメラ(あのちっちゃいカメラよ)が置換されたのではないかなぁと。

となると、やっぱりデジイチは今の所生きてるんじゃないかなと思うよ。ちなみに高級オーディオみたく、コンデジは高級路線でしか生きれなくなって、高級コンデジという別ジャンルが最近盛り上がっているよね。(特にスマホでは満足できないユーザーか、デジイチのサブカメラとして)

暗いスナップ写真

カメラ文化は死なない

これは確固たる裏付けがあるわけではなく、ちょっと自分の願望も入っているのだけれど、写真の文化・ひいてはカメラの文化は消えることがないと思う。
インスタが流行ってる昨今で、もっといい写真を、もっとクリエイティビティを、もっと手軽にいい写真を。そういった声は消えることはないと思う。

寧ろ他者との違いを持つことが求められているこの頃だから、昔のように「いつかは高級車、高級バッグ、高級腕時計」といった価値観が薄れているようなこんな時代だからこそ、若者は身近な写真を、カメラをクリエイティビティの武器とするのじゃないだろうか・・。

だからこそ少し気になるのは、先にいいカメラを持った人たちが、写真文化の先輩たちが、少しでもカメラを気に入ってもらえるような先導役を買うべきじゃないかなって。

歩く人々とスナップ

何も難しい理論や、人を圧倒する写真だなんて必要なくて、ただただ「写真ってやつは楽しいんだ」ってこと、伝えてプレーヤーを増やすことが巡り巡って、カメラが長生きする方法だなんて結構大袈裟で偉そうなことを考えてもみる。
いや、実際僕は写真やカメラってやつに日々救われてるし、楽しみを与えてもらっている。

ハービー・山口さんだって、幼少期に腰椎カリエスに苦しんで、同世代の人間からの孤独を味わったという。でも写真がカメラが彼を救ったらしい。カメラ系の雑誌をみていたら、彼の名を知らない人なんてそういない。そして彼は人々に、世界の素敵さを写真で伝えていってるようだ。

風景の写真

それとカメラメーカーの側も、ユーザーのニーズや動向を察知するのもいいけれど、もう少し写真やカメラのことが好きになるような場を作るといいんじゃないかなって。
僕の周りでもカメラを欲しがって、実際に買った人たちがいる。僕も昔はそのうちの一人だった。でも結局、カメラってよく分からないマシンなんだよね。

操作が難しい、複雑、大きい、重い、 レンズなんてよくわかんない。結局レンズキットを買って、指折り数えるほどしか外気に触れさせずにタンスの肥やし。
そういう人たちを見てきたからこそ、潜在的なニーズと共にそれを塞いでいるなにかを感じてしまうことがある。

「スマホで充分」、そう思っている人たちは良いんだけど、「カメラ買いたいけど、やっぱよくわかんないや」って言う人達にもっともっとカメラのプリミティブな楽しみを感じて欲しいなってたまに思うんだよね。

フィルムを構えた写真

フォトグラファー”ikora”
大分で写真を撮り続ける医学生
主にポートレートモードと絶景を中心に
撮り続けている

Photologに戻る